俳句のことなど

文章を志す者ならば、詩作は必ずすべきだとポール・オースターも言っているが、今の日本文学界ではついぞ詩歌を見ることはなくなってしまいました。新しく生み出さないどころか、古典の詩文を顧みることさえない。
中国では今でもインテリ層の教養として唐詩が生きているし、英文学はそもそもがフランスの叙事詩の上に成り立っている。文学としての「系譜」が生きているのですな。残念だが日本では断絶している。明治と戦後の「近代化」で二重に伝統を失っているためです。
なまじ今詩作の話などすると、ポエマーと銘打たれてナルシス扱いされ兼ねない。だが唐詩でもソネットでも、詩は豊かな伝統によって鍛え上げられた綿密な作詩技法によって成り立っている。詩を楽しむというのはひとつの思考が、作詩技術によって純化されていく過程を楽しむと言うことでもあるのですよ。
……いちばん楽しいのは「ことばあそび」だがね。