僕はお城の王様だ

ぼくはお城の王様だ
スーザン ヒル
優れた本だ。
作者は丹念に、起伏なく二人の少年の日常を描く。起伏が無いといっても、事件はおこる。だが全てが日常の中に埋められていってしまうのだ。そこで描かれるのは「日常」自体が不可避的に胚胎する、悪意と無関心と諦めの姿だ。
あるいは、読み手は登場人物たちの誰かに、「悪」や「無理解」といった形でそれぞれの投影を見出すかもしれない。だがそれは彼ら登場人物たちの本質では無い。世界がそのようにできているということなのだ。
救いの無い話だ。だがまぁ、この本は誰かの救いを書いた話では無い。愛の見当たらない話でもある。しかし愛を求める人物はこの本には登場しない。求められるのは世界からの承認だ。少年が孤独なのは親から認められないからだ。
子供は親の愛を求めるのではない。彼らが知る世界が親たちだけだから、その狭い世界からの承認を得ようとしているのだ。